【高市早苗】新総理に待ち受ける冷徹な現実。「対中抑止の最前線に立つ地政学的緩衝国家」としての役割【中田考】
《中田考 時評》文明史の中の“帝国日本”の運命【第2回】

◾️5.“帝国日本”にとっての高市政権
前回の【第1章.文明とは何か】で述べたように、日本は他に属する国がない「独立文明」である。しかしそれは日本が世界から孤立していることを意味しない。
5世紀から6世紀にかけて倭のヤマト政権が南朝の宋・梁など中国王朝に朝貢し、冊封を受け中国の権威を背景に任那に出兵し任那を足掛かりに朝鮮半島南部への進出をはかって以来、“帝国日本”は東アジア中華秩序の主要なプレーヤーの一つであった。奈良時代(8世紀)に収蔵された東大寺の正倉院の宝物群にはササン朝ペルシア風のガラス器、インド・ガンダーラ風の装飾、唐代長安を経由(所謂「シルクロード」)した絹織物、さらにローマ・エジプト由来のガラス技法に由来する工芸品までが含まれており、“帝国日本”はユーラシア文明交流圏の東端に位置づけられていた。
“帝国日本”が顕著に帝国主義的領土拡大を進めた時期は、①中華文明から独立し任那に侵攻した5~6世紀、②中国(明朝)の征服を目指して抽選半島に出兵した「唐入り(文禄の役:1592年、慶長の役1597年)」、③琉球併合(1879年)から大東亜戦争の敗戦(1945年)に至る大日本帝国期に大別される。第三期において日本は台湾(1895年)、朝鮮(1910年)、南洋群島(第一次大戦後委任統治)などを領有し、東アジア・太平洋にわたる植民帝国を形成した。
私見によると、“帝国日本”は現在この第三期の敗戦処理の過程にあり、高市政権に委ねられた課題の本質は、大日本帝国の帝国/植民地管理の失敗の後始末である。資料的な限界からその実態が曖昧な任那の侵略は擱(お)くとして、秀吉の唐入りも、大日本帝国の大東亜戦争も、戦争による侵略と力づくの強権的支配であり、帝国内の様々なエスニシティー集団を束ねる普遍的な理念もなければ、それぞれの集団に自治を許し共存を保証するシステムを作り上げることもできなかった。
逆に“帝国日本”は大日本帝国において朝鮮や台湾のように日本に編入し現地人に日本国籍を与えた者に対しても戸籍上内地人、朝鮮人、台湾人と法的に差別しただけでなく、天皇を現人神として崇拝を強要した。文化的に近い朝鮮や台湾だけではない。イスラーム文化圏のインドネシアやマレーシアなどでも神社を立て、現地人に宮城遥拝をした。そして敗戦で海外領土を失うと「日本人」であったはずのおよそ三千万人の「朝鮮人」、「台湾人」から国籍を奪うと同時に恩給などの権利も奪った。これが高市が言う「日本人」であり、今日の「外国人」差別、「在日特権」などの排外主義的扇動の原点なのである。
家父長主義的温情であったのか単なる効率的搾取のためであったのか、意図が奈辺にあったのかは問わない。純物質的、経済的には日本の植民地経営は直轄の朝鮮半島、台湾では開発型植民地支配でありインフラ・教育・医療の整備においてはむしろ欧米に比べて相対的に進んでいた。委任統治領として始まった南洋諸島ではドイツ時代に比べて開発は大幅に進んでいた。
経済的な一定の開発の成功を勘案するなら大東亜戦争期の“帝国日本”の植民地経営の文明論的「不徳」は目を覆いたくなるレベルである。「原住民」を見下し、搾取することにおいては大日本帝国は欧米帝国主義列強と変わるところは無かった。しかし「原住民」の内心に土足で踏み込み神道、天皇崇拝を力づくで強制しようとしたナイーブな「皇民化」政策は現在に至るまで大きな禍根を残す世界の植民地政策の中でも稀に見る大失敗に終わった。
その最も顕著な例が神道の海外布教であった。日本は海外植民地の至る所に神社を建て皇民化を推し進めたがその全てが跡形もなく消え去った。言い換えれば大日本帝国の植民地経営は非文明的な覇道による侵略でしかなく、中華文明の徳治の王道による「王化」を模し「八紘一宇」のような身体化されない新造語で飾り立てて「原住民」を現人神の臣民に仕立て上げようとした神道による「皇民化」の宣撫工作の象徴であった神社も奉安殿も全て雲散霧消したのである。
極右排外主義者も例外的に好意的に位置づけ大日本帝国の植民地経営の成功例であり「価値を共有する友邦」「対中最前線」とみなす台湾でさえすべての神社が取り壊され、僅かに桃園神社のみが1950年に桃園忠烈祠と改名されて歴史的記念物として保存され観光名所となっているのみであり、現在まで現地の人々が参詣する宗教施設としての神社はただの一社すら残っていない。まさに「不徳の至り」と言えよう。
テキサス州立大学の日本文学研究者セス・ジェイコボウィッツは「日本は戦争に勝った ―修正主義的歴史叙述、異歴史フィクション、そして帝国ノスタルジアにおける記憶の政治」において、「大日本帝国の栄光の回復を夢見る復古的ナショナリズム(imperial revanchism)」がいかにして陰謀論、オルタナティブ・ヒストリー、及び歴史修正主義を生み出し、世界的な極右運動とどのように連動しているかを分析している。
「自由で開かれたインド太平洋」、「基本的価値を共有する同盟国」、「グローバルサウス諸国との連携」などの空々しい美辞麗句を並べただけの総理就任所信表明演説は玉虫色の文字通りの外交儀礼であり論ずる価値がない。
しかし「南京事件はデマ」とする映画に賛同者として名を連ねていた松本洋平を文部科学相に任命し、首相就任の所信表明で憲法改正への意欲を示し、韓国メディアからの関係悪化の懸念に対し「未来志向で発展させたい」と回答したことが、高市には自らの課題が大日本帝国の帝国/植民地管理の失敗の後始末であるとの意識がないことを自ずから示している。
「歴史修正主義者」と呼ばれている(“Sanae Takaichi, Opponent of Gender Equality, Becomes Japan’s First Female Prime Minister”, Democracy Now, 2025/10/21)高市は「不徳」な大日本帝国の植民地経営の文明論的失敗を直視し、敗戦によって庇護の責任を放棄し見捨てた三千万もの「日本人」に対して償うことこそが日本が取るべき道とは考えていない。むしろ逆に大日本帝国の統治は優れていたが傲慢で狡知に長けた欧米列強と頑迷な忘恩の「外地人」の被害者であった、との方向で歴史を改竄して大日本帝国を免責し他者に責任を押し付けるばかりか、「内地人」の日本人でさえ自分流の神道解釈、皇国史観に忠誠を誓わない者は「非国民」として切り捨てることによってこそ日本が栄光を取り戻せると信じているのである。
玉虫色の所信表明演説の中で唯一はっきりしているのはアメリカには何があっても付いていく、という対米盲従政策である。強い者には諂い弱い者は居丈高に踏みつけにする。“帝国日本”は黒船来襲のアメリカの砲艦外交で開国を余儀なくされ、脱亜入欧殖産興業富国強兵政策によって日清日露戦争で勝ち第一次世界大戦でも米英に追随し勝馬にのってせっかく列強の仲間入りを果たしたにもかかわらず、アメリカに逆らったために敗戦国に転落し海外植民地を全て失う羽目になった。
冷戦の開始によって日本をアジアにおける反共の橋頭保とするとのアメリカの政策転換によって新たにアメリカに次いでGDP世界第二位の経済大国として生まれ変わり「名誉白人」としてアジアで唯一のG7加盟国となった“帝国日本”が、敗戦のトラウマから今後は二度とアメリカに逆らわないと誓い「ホワイトハウスに朝貢して属国の代官の地位に冊封される」ことに「居つく」(©@levinassien)ことは理解できる。特に党内の基盤も弱く、分極的多党制下で極右排外主義ポピュリスト政党との連携の困難な政権運営を強いられる高市であるならば、局面を単純化し「寄らば大樹の陰」とアメリカを宗主国として崇め奉り盲従し属国の代官、「虎の威を借りる狐」となることを外交の支柱とすることはむしろ合理的な選択とも言える。

